水底飛行場

試行中……

2023年9月14日 754文字 『都会のにおい』

煙草のにおいがする、と思ったそのとき、都会はいろんなにおいがあるんだなと気づいた。私は夜の都心を歩いていて、居酒屋やカラオケが並ぶアーケードを抜けたところだった。煙草のにおい、なにかを焼いているにおい、腐ったようなにおいはゴミのそれか?人とすれ違えば汗のにおい、香水、柔軟剤、髪を固めるやつのにおい。車道の近くで排気ガス、ガソリンのようなにおい。地下鉄に乗ると、ホームを満たす、地下鉄のにおいとしか呼べそうにないあのにおい、車内のシートの独特なにおい、そして人のにおい。

田舎ににおいがないわけではない。ただ、私はふだん都会と呼べる場所で過ごしていないので、この夜やっと都会のにおいに気がついたのだ。

私はたまに都会に出かけては、その特徴に毎回驚いている。建物の高さや密集具合、スタバが歩いて10分ほどの間隔で店舗を構えていること、地下鉄の張り巡らされ具合、人の多さ、そういうことに毎回律儀に驚いている。そうやって新鮮さを楽しんで、気分転換をはかっている。

都会で過ごす機会が多い人は、この都会のにおいに慣れているということか。慣れるということは、大したことだと思わなくなるということだろう。私は、できれば都会に慣れないでおきたい。もう少しのあいだ、都会を非日常として楽しみたいような気持ちがある。

でも、そろそろ、驚かないでいられるようになっている。新幹線に乗ればひとりで遠出できると知って、自分が住んでいる町より大きな街に何度も出かけてみて、そろそろ私は慣れつつある、少しずつ、驚きは小さく、静かになっている。

驚きが自分の思っているより小さいと、なんだか物足りない、なんだかさみしい。これはたぶん、仕方のないこと、自然なこと、よくあることなのだろう。おそらく、こういうことがこれからたくさんある、ような気がする。

2023年9月13日 1128文字 『水底記録1』

 今より、昔の方がお喋りだった。昔というのは、幼い頃、子どもの頃のことで、お喋りだったというのは、人の輪に積極的に入ろうとしたり、話しかけることにためらいがなかったり、ということだ。そのためらいのなさは、周囲の状況が把握できないとか、相手の心情がわからないとか、そういうところからきている無神経な動きで、あの頃はよかったとすることは決してできない。

 自分が話していると場がしんとなる、それまでの流れが切断される、というようなことが何度もあり、その繰り返しの中で自分はあまり話さない方がいい、他者と関わりを持とうとしない方がいい、と思い始めた。それから専門的な知識のある人と話したり本を読んだりすることでようやく、状況を即座に掴めない、他者への共感に欠けるという自分の特徴に気付いた。

 今、ここである。この先。この先に行きたい。自分の特徴を知って、どうしたい?特徴はたぶん直るものではないので、この特徴がありつつ、それでも他者と話をするための、やりとりをするための技術とか心構えとか感覚を手に入れたい。だから、サクちゃんの雑談に申し込んでみたり、尹雄大氏の本を読んだりワークショップに申し込んでみたりしているのだった。それが自分への対応として正しいのかわからない。単純に彼女ら彼らの活動に興味があるからというのが最初だったはずだ。

 最初に受けてみたカウンセリングにて、アサーティブコミュニケーションというものがあると教えてもらった。本とかあるのだろうか。習えるところがあるのだろうか。……本ありますね。アサーショントレーニング、アサーティブコミュニケーション、昭和大学厚生労働省に委託されて作ったワークブックありますね。調べてみるものだ。

 ここにたどり着くまでの距離、時間。以上のように書き起こして整理されるまで、流れが整理されて、それ以降にまなざしが向かうまで。なんか、まあまあ時間かかったな。そういうもんか?自分の中でそれがまとまるまで、舞い上がった泥が沈殿して落ち着くまで、一定の時間が必要なのだろうとは思う。にしても、もうちょっと早くにできなかったかなあ、というぼやきが思い浮かぶ。まあ、仕方ない、今、水が澄んだのは今なので。

 ほかの色々なことをやりながら、日を暮らしながら、好きなことやったり興味あることに取り組んだりするので、まあ、そりゃ時間はかかりますよね。時間がかかる、こつこつやる、というのに、慣れていないのね。目標を立てるとか、目標に向かって取り組むとか、自分からやった経験がほとんどないんだろうから。慣れてないのは仕方ない。これからやって、これから慣れていこう。

 それにしても、遠出が間近に迫ってきたらいろいろなことに動きが出るのなんなのだろうか。

2023年9月11日 1361文字 『炭酸飲料』

炭酸飲料が好きだ。

ただ炭酸水が好きなのではなくて、甘いジュースに炭酸が入ったものが好きなのだ。炭酸飲料は季節ごとにちがう味の商品が発売されている。それらはたいてい旬の果物を模した味で、私は果物も好きなので、新商品を見つけるとホイホイ買っている。最近は梨味が出ていて、これから冬が近づくと、りんご味が現れるだろう。夏になると沖縄パイナップル味が発売されることがあるが、私はあれがめっちゃ好きだ。あと、メッツという炭酸が強めの商品にはライチ味というのがあって、この味はなぜか自動販売機でしか売っていない、少なくとも私は自販機でしか見たことない。濃いめの甘さでライチの風味がさわやかでとても美味しくて、強炭酸でのどがピリピリして気持ちいい。炭酸飲みたいという気持ちとメッツのライチ味が入っている自販機が鉢合わせたときに買うことにしている。大学生のときはよく買ったような気がする。

いちばん最初にハマった炭酸飲料はファンタのグレープ味だ。幼少時に好きになった。周囲の大人が、あなたはこれが好きなのでしょうと知っているくらい好きだった。母方の祖母の家に遊びに行くと、冷蔵庫に必ずファンタグレープが用意されていた。あれはばあちゃんが私のために用意してくれていた、私への愛だったのだと最近気づいた。

成長して、ファンタグレープを買うことが減った。ファンタって、人工的な味がするなと思うことがあったのだ。大学のあいだはそれなりに距離を置いていた。ペットボトルごみを避けていたせいでもある。大学を卒業して、地元に戻って、アルバイトを始めた。夏、仕事終わり、飲料コーナーで私は再びファンタグレープを手に取った。久しぶりに飲んでみようと思いついたのだった。暑かったし、疲れていたし、ファンタグレープはよく沁みわたって、昔と飲んだときの味わいとかしゅわしゅわ具合とかいろんな感覚が変わらなくて、変わらず美味しいことが嬉しかった。人工的な味は、このおいしさのもう少し奥にあって、ファンタグレープを飲み慣れてくると感じるのだった。だから、ファンタグレープを買うのはときどきにしようと思った。ときどき、たまに飲むおいしいやつ。そういう距離感で付き合うことにした。

小学生のとき、水泳に通っていたことがあったが、練習終わりでオロナミンCをよく買ってもらっていた。容器が茶色いびんだし、でも中身は黄色いし、なんかよくわかんないけどおいしい。一本に入っている量が少なくて、母にもう一本飲みたいと頼んでもいつもだめだと言われるのだった。もう少し大きくなってから、リアルゴールドとかドデカミンなどの存在を知って、でっかいオロナミンCだ!と感動した記憶がある。現在は、それらはほとんど飲まない。カフェインが入っているので、夕方とか夜に飲めないからだ。

最近は、季節限定の味ばかり買っている。めぼしいものが無ければ、カルピスソーダとかファンタグレープを買う。たまに贅沢のつもりで酔わないウメッシュを買っていたが、最寄りの店で取り扱いがなくなってしまった。

もし私がお酒を飲めたなら、炭酸ジュース好きではなくて、お酒好きになっていたのかもしれない。お酒飲めなくてよかったかも、という気持ちと、どちらにせよ飲み過ぎはまずいよな、という気持ちがある。歯磨きはしっかりしようと思う。

2023年9月7日 1086文字 『血が足りない』

血が足りない、と思った。今日の労働中、真昼のことだ。レジに立っていると、おでこから目のあいだの頭の中がふーっと、遥か遠くの景色を見つめているときのような感覚になった。体に力が入らない。なんとなくお腹が空いた気がする。昨日から生理が始まっていて、血が体から出て行っている。だから、血が足りない、と思った。

血が足りない、という表現は、私は『るろうに剣心』で初めて見た、と思う。志々雄だったか、雪代縁だったか、オールスターで挑んだ死闘のあと、長い眠りから覚めた弥彦が開口一番、ハラ減った、血が足りねえ、と言って布団を出て行く。

血が足りない、と思った私は、休憩時間にいつもよりたくさん食べた。血が足りないなら、食べて血の材料を供給せねば。鉄分入りの飲むヨーグルトも飲んだ。結果、食べ過ぎておなかの調子が悪かった。血が足りなくても、食べ過ぎはよくないのだ。

少年ジャンプの戦闘メインの漫画はよく血が出る。るろうに剣心でも流血の描写はよく出てくる。弥彦は少年だが、剣心たちについていこうと頑張る。頑張るので、ふつうにわるい大人と戦って、流血などありつつ、なんとか勝つ。戦いのあとは家に帰ってくる、家というか、そのとき滞在しているところ、薫さんたちが待っているところに帰ってくる。ぼろぼろの瀕死というべき状態でみんな帰ってくるので、帰ってきたらすぐ手当、布団に横たえて看病、ということになるのだろう。食べて血液の材料を補給する暇がないのだ。

弥彦は血が足りなかったのだろう。今日の私はほんとうに血が足りなかったのか?生理中なので、まあ、貧血気味ではあったのかもしれない。そもそも頭がぼーっとしたのは、血が足りなかったというか、単純に生理中特有の眠気があったというだけだったのでは?それありそう。貧血、いつもはない妙な眠気、昼ご飯が足りなかったのか、マスクしてたし呼吸が浅かったんじゃないの、等。

結論はとくにない。まあ、生理中だからなあ……と思う。いつもはない感覚があるのが生理中なので、血が足りない、なんて思ったのもたぶん生理のせいだろうなあ、ということになる。

血が足りない感覚は昼だけで、夕方の入り口あたりで一時間休憩を過ごしたら大丈夫になっていた。お腹空いてただけだったのかもしれない。生理と空腹のダブルパンチだったのかもしれない。仕事終わりは炭酸のジュースを買って帰った。清見というみかんの炭酸ジュースと、洋ナシの炭酸ジュース。子どものころから炭酸飲料が好きなので、季節限定の味が出ると嬉々として購入する。帰路で飲んだら、冷たい炭酸が口の中やのどに刺さって熱を帯びて、気持ちよかった。

2023年9月3日 922文字 『話を聞く』

 恥ずかしかったことばかり、ふと浮かんでくる。自我が芽生えてきたのが22歳のときだったので、それまでの、それ以降もあるが、昔の自分のふるまいの恥ずかしさに現在の自分が頭を抱える時間がときどき発生する。特にトイレでそうなる。油断して頭の中が空になる瞬間、記憶の泡が弾ける。恥ずかしくて苦しくて、自分の太ももを叩いたり、「嫌い」とか「ばか」とか声に出して、痛みや音で恥ずかしさをかき消そうとする。

 今から考えると、当時の自分がどうしてそのようなふるまいをしたのか、よくわからない。過去の自分と現在の自分は生きてきた時間の違いのぶん、ちがう生き物で、それゆえにわかりあえない。私の中に、どうしてもわかりあえない他者がいるという捉え方をする。とはいえ、一応は過去の自分でもあるから、自分のこととして恥ずかしくなる。わかりあえない他者とどう距離をとって付き合うか?まずは話をきいてみよう。

 どうしてそんなことをしたの?どうしてそんなことを言ったの?

 常識を誰も教えてくれなかったから、どうするのが普通なのか知らなかったから、ものすごく楽しかったから、ものすごく感情が動いたから、それをどう表現したり、どう伝えたらいわゆるTPOに合うものになるか知らなかったし、伝え方を加工できるって知らなかったから、あと、自分が何を感じて何を考えて、なにを伝えたくて何を言わないでいたいか、そういう自分の内面のことがぜんぜんわからなかったから。

 そうだね。そうだったね。いまは多少マシになったけど、でも、そうなんだよな、わからないことが多いな、わからないこと、感じ取れないことが多いな。マシになったからこそ、恥ずかしく思うようになったのかな。

 いや、当時も恥ずかしかったか。恥ずかしいとか嫌だなとか思ったとき、それをどうしてあげたら自分にとっていいのかわからないんだな。今も。今も?うん。自分に、今のは恥ずかしかったな、とか、嫌だったな、とか声をかけることくらいしか、うん、本当にどうしたもんかね、訊いたら教えてくれる人いるのかね。

 でも、こうやって話を聞いてくれる自分がいてくれてよかった、少し胸がスッとしてる。よかった、またいつでも聞かせて。またここで、この文字の列の中で会おう。

2023年9月2日 1444文字 『Kさん』

書店でアルバイトをしている。レジを打ったり、本棚を整えたり、雑誌に付録を挟んでビニールひもでくくったりする。ビニールひもではなくて、輪ゴムで十字にくくることもある。数十冊入荷した月刊誌に、今月号の付録であるクリアファイルをはさむ。雑誌本体がクリアファイルよりひとまわり大きいので、クリアファイルが痛まないか気にしなくていいので楽である。(出版社のひと、雑誌に付録をつけるときは付録の外箱のサイズが雑誌より小さくなるようにしていただけると嬉しいです。)クリアファイルが一枚、ページのあいだにあることを確かめて、輪ゴムをかける。店に出す準備ができたものを、5冊ずつ上下の向きを変えて、重ねて置いておく。コミックは3冊ずつ向きを変えて重ねる。いちにさんしご、5冊まとめて持って、縦横はみでないように整えて台に置く、いちにさんしご、まとめて持って、上下の向きを変えて、さっきの5冊の上に置く、これを繰り返す。

 いいか未来、たくさん数えるときは、5個ずつ数えたらはやい。雑誌を5冊ずつ数えながら、Kさんの声を思い出す。どこかの教室の前、廊下、文化祭だった気がする、私はたくさんのお金を数えないといけなくて、そんなときにKさんがやってきて、片付けのざわめきとは正反対の静かな声で、静かなまなざしで、私にそう言った。私はそうなんだ、と思って、その通りにした。確かに、5個ずつ数えたら区切りがわかりやすいし、なんとなくはやい気がする。それから、たくさん数えるときは5個ずつ数えるようになり、単純作業がたくさんあるときは5個ずつ区切りをつけてやるようになった。ものすごく重宝している、Kさんが教えてくれなかったら、要領の悪い私は、たくさんの量を区切りもつけずにながなが数えて、ミスを多発させていたと思う。Kさんは、私のそういうところをなんとなく知っていて、さりげなく方法を伝授してくれたのではないか、と今の私は勝手に想像している。

 またあるとき、Kさんは私にプレゼントをくれた。なにかのお祝いだ、忘れた、でもお祝いで、Kさんは私に、シルエットのきれいなボールペンをくれた。流線形のシルエットもきれいだし、色もやさしいピンクゴールドで、ホテルのフロントに常備してあるようなフォーマルな印象のあるボールペンだった。就活とか働き出したら使ったらいいよ、というようなことを言われた、気がする。Kさんはひとつ上の先輩なので、私より先に社会人になった。私は結局就職せずに、地元にかえって書店でアルバイトを始めた。書店では、お客さんに文字を書いてもらう機会が意外とある。本を注文したときに名前と電話番号を訊くし、クレジットカードの決済でサインをもらうこともある。私はそのとき、Kさんにもらったボールペンで書いてもらうことにしている。なんとなく、お客さんにはきれいなボールペン使ってもらった方がいいかなとか、大人っぽいなとか、理由は曖昧だ。ただ、ボールペンをお客さんに差し出すとき、書き終えたお客さんがボールペンをこちらに返すとき、その流線形のシルエットがとてもきれいに映って、私はあたまの片隅でうっとりしている。

 こうして考えると、Kさんは私が書店で働くうえで必要なものをふたつもくれたのだと気づく。私と背の高さが近くて、優しくて賢くて、頼りがいがあって、ときどきものすごくデリカシーがなかったりアホみたいだったりしたKさん。ある匂いで今はもう会わない誰かのことを思い出すように、私はものの数を数えるたびにKさんのことを思い出す。

2023年9月1日 806文字 『揺れ』

 夜、横になって過ごしていると、部屋の扉や小物たちが不自然に揺れた。こここ、かたたっ、と足踏みして、揺れはすぐに収まった。私はTwitterのアプリから特務機関ネルフのアカウントを検索した。思ったとおり、自分の居住地域に揺れが観測されていた。画像に、震度2を表すマーク。隣県の海の方で本震があり、こちらまで揺れが届いたとのことだった。揺れが地震だったこと、数値で見てもそこまで大きくないことを確認できたので、よし大丈夫、とツイッターを閉じた。

 それから数日経って、平日の昼間、家で作業をしていると、扉や窓がここここん、ここここん、と揺れた。扉や窓というか、家全体が。少し間があいて、ここここん、ここここん、と再度揺れる。私は例によってTwitterを開いてネルフを見に行く。しかし、タイムラインに地震の情報は見当たらない。最新の投稿は遠くの地域の画像と、大雨情報だ。私は何度かタイムラインを更新したが、いくら下に引いても新しい投稿は現れなかった。

 作業にもどってしばらくして、そういえば、と思い出した。近所の大きな家が解体工事をしているのだった。蔵を備えた日本家屋の豪邸で、道路に面したところに忍術学園のような木造の門が立っている。私の家と最寄り駅を繋ぐ道の途中にあるので、ここ数日はバイトの行き帰りに、どれくらい解体されているのかなんとなく眺めていた。工事車両を入れるためと思うが、まず、門の横に伸びる真っ白な壁の一部が壊されて、そこから工事の様子が丸見えになっていた。庭に置いてあったらしい石灯籠が撤去されて、家の壁が剝がされるとシルバニアファミリーみたいになり、昨日は家そのものが解体されていた。

 このクソ暑いのに大変だなあとかなんとかぼんやり思っていたので、ここ数日は雨や曇りの影響で涼しくなってよかったなと思う。でもそれは家で優雅に過ごせる人間の浅い想像であって、実際、暑いのと雨が降るのとだったら、工事の人はどちらが嫌なのだろうか。