水底飛行場

試行中……

2023年9月3日 922文字 『話を聞く』

 恥ずかしかったことばかり、ふと浮かんでくる。自我が芽生えてきたのが22歳のときだったので、それまでの、それ以降もあるが、昔の自分のふるまいの恥ずかしさに現在の自分が頭を抱える時間がときどき発生する。特にトイレでそうなる。油断して頭の中が空になる瞬間、記憶の泡が弾ける。恥ずかしくて苦しくて、自分の太ももを叩いたり、「嫌い」とか「ばか」とか声に出して、痛みや音で恥ずかしさをかき消そうとする。

 今から考えると、当時の自分がどうしてそのようなふるまいをしたのか、よくわからない。過去の自分と現在の自分は生きてきた時間の違いのぶん、ちがう生き物で、それゆえにわかりあえない。私の中に、どうしてもわかりあえない他者がいるという捉え方をする。とはいえ、一応は過去の自分でもあるから、自分のこととして恥ずかしくなる。わかりあえない他者とどう距離をとって付き合うか?まずは話をきいてみよう。

 どうしてそんなことをしたの?どうしてそんなことを言ったの?

 常識を誰も教えてくれなかったから、どうするのが普通なのか知らなかったから、ものすごく楽しかったから、ものすごく感情が動いたから、それをどう表現したり、どう伝えたらいわゆるTPOに合うものになるか知らなかったし、伝え方を加工できるって知らなかったから、あと、自分が何を感じて何を考えて、なにを伝えたくて何を言わないでいたいか、そういう自分の内面のことがぜんぜんわからなかったから。

 そうだね。そうだったね。いまは多少マシになったけど、でも、そうなんだよな、わからないことが多いな、わからないこと、感じ取れないことが多いな。マシになったからこそ、恥ずかしく思うようになったのかな。

 いや、当時も恥ずかしかったか。恥ずかしいとか嫌だなとか思ったとき、それをどうしてあげたら自分にとっていいのかわからないんだな。今も。今も?うん。自分に、今のは恥ずかしかったな、とか、嫌だったな、とか声をかけることくらいしか、うん、本当にどうしたもんかね、訊いたら教えてくれる人いるのかね。

 でも、こうやって話を聞いてくれる自分がいてくれてよかった、少し胸がスッとしてる。よかった、またいつでも聞かせて。またここで、この文字の列の中で会おう。