水底飛行場

試行中……

2023年10月1日 1418文字『修正の人、引き出しの人』

 喋るのは難しいなと思っている。一度声に出すと修正が難しいし、正しいことを言わないといけないんじゃないかという恐れがいつもあるし、そもそも何が言いたいのか自分でもよくわからず、始終混乱している。そう、混乱しているのだ、頭の中が高速で振り回されている。

 どうしてこんな状態になっているのか、糸口が見えた気がする。私の頭の中に、修正の人がいる。私が言ったことにたいして、それだけじゃないだろこういうのもある、と口を出してくる。揚げ足をとるように、言ったことがさも正しくないかのように、修正してくる。私がそのとき言いたいのはAなのに、AだけじゃないBもあるだろうと言って、補足のつもりでお前の言うことは不十分だと圧をかけてくる。別にいいのに、Aって言いたいんだから、Aだけ言えばいいのに。現実世界でクソリプを怖れているかのようなひとだ、修正の人。

 それから、引き出しの人もいる。話をしていて、思い出したこと、過去に読んだ本の内容などが思い出されたとき、その部分の引き出しを引っ張り出してきて、こういうのがあるよ!と勢いよく持ってくる人だ。思い出すだけならいいのだが、それも言え!と圧をかけてくる。言わなくてもいいのに、言えそうだったら、言った方がよさそうだったら言えばいいのに、関係なく、思い出したこれを言え!と引き出しごと押し付けてくる。落ち着いてほしい、引き出しの人。

 私の中には修正の人と引き出しの人がいて、話を始めると二人が騒ぎ始める。私はそれを押さえつけながら話をしないといけなくなり、やることが多くて苦労する。モグラたたきをしながら話をするのは、私には難しいのだ。ふたりの頭を押さえつけていると、言いたかったこともうまく出てこなくなったりもする。でも野放しにもできない、話が別の方向に逸れたり、どう話していいかわからなくなる。

 修正の人は不安そうである。自分が正しくないことを怖れている。正しくないことを言うと攻撃されると思っている。正しいってなんだろうね。誰にとっての正しいとか正しくないなんだろうね。正しいことを言いたいのかな。正しいことじゃなくて、自分が言いたいことを言いたいだけなんじゃないかな。怒られるのがこわいんだな、ずっと、もうずっと。怒っている人の声とか雰囲気のトーン、それが自分に向いていること、攻撃。正しくないことをすると攻撃されるので、真面目に振る舞ったりしていましたが。修正の人は怒られるのがこわいんだね。

 引き出しの人。子どもの頃の成功体験かな、情報を再生すればなんか賢い感じになって群れの中に居場所ができて楽だったんじゃない?子どもの頃はね。本当はひとりで自分の好きなことを興奮するまま喋っていられたらよかっただろうし、なんにも喋らないで誰にも干渉されないでどこにも連れて行かれないでいられたらそれがいちばん楽だっただろうね。嫌な思い出疲れたこと、すべて他者が介在している、子どもの頃の記憶。ひとりがいちばん楽しいんだもの。群れの中でなんとか過ごすための作戦だったのかしら。引き出しの人。

 私の中に怒られるのそんなに苦手じゃない人いないのかな、いるかな。不安を無視しないこと、というようなことを尹さんがワークショップで言っていたね。喋りながら、自分はいま正しくないことを言ってるんじゃないか、という不安を無視しない、怒られているときの、体の感覚を無視しない。修正の人も、引き出しの人も無視しないで、一緒に過ごそう。