水底飛行場

試行中……

2023年9月2日 1444文字 『Kさん』

書店でアルバイトをしている。レジを打ったり、本棚を整えたり、雑誌に付録を挟んでビニールひもでくくったりする。ビニールひもではなくて、輪ゴムで十字にくくることもある。数十冊入荷した月刊誌に、今月号の付録であるクリアファイルをはさむ。雑誌本体がクリアファイルよりひとまわり大きいので、クリアファイルが痛まないか気にしなくていいので楽である。(出版社のひと、雑誌に付録をつけるときは付録の外箱のサイズが雑誌より小さくなるようにしていただけると嬉しいです。)クリアファイルが一枚、ページのあいだにあることを確かめて、輪ゴムをかける。店に出す準備ができたものを、5冊ずつ上下の向きを変えて、重ねて置いておく。コミックは3冊ずつ向きを変えて重ねる。いちにさんしご、5冊まとめて持って、縦横はみでないように整えて台に置く、いちにさんしご、まとめて持って、上下の向きを変えて、さっきの5冊の上に置く、これを繰り返す。

 いいか未来、たくさん数えるときは、5個ずつ数えたらはやい。雑誌を5冊ずつ数えながら、Kさんの声を思い出す。どこかの教室の前、廊下、文化祭だった気がする、私はたくさんのお金を数えないといけなくて、そんなときにKさんがやってきて、片付けのざわめきとは正反対の静かな声で、静かなまなざしで、私にそう言った。私はそうなんだ、と思って、その通りにした。確かに、5個ずつ数えたら区切りがわかりやすいし、なんとなくはやい気がする。それから、たくさん数えるときは5個ずつ数えるようになり、単純作業がたくさんあるときは5個ずつ区切りをつけてやるようになった。ものすごく重宝している、Kさんが教えてくれなかったら、要領の悪い私は、たくさんの量を区切りもつけずにながなが数えて、ミスを多発させていたと思う。Kさんは、私のそういうところをなんとなく知っていて、さりげなく方法を伝授してくれたのではないか、と今の私は勝手に想像している。

 またあるとき、Kさんは私にプレゼントをくれた。なにかのお祝いだ、忘れた、でもお祝いで、Kさんは私に、シルエットのきれいなボールペンをくれた。流線形のシルエットもきれいだし、色もやさしいピンクゴールドで、ホテルのフロントに常備してあるようなフォーマルな印象のあるボールペンだった。就活とか働き出したら使ったらいいよ、というようなことを言われた、気がする。Kさんはひとつ上の先輩なので、私より先に社会人になった。私は結局就職せずに、地元にかえって書店でアルバイトを始めた。書店では、お客さんに文字を書いてもらう機会が意外とある。本を注文したときに名前と電話番号を訊くし、クレジットカードの決済でサインをもらうこともある。私はそのとき、Kさんにもらったボールペンで書いてもらうことにしている。なんとなく、お客さんにはきれいなボールペン使ってもらった方がいいかなとか、大人っぽいなとか、理由は曖昧だ。ただ、ボールペンをお客さんに差し出すとき、書き終えたお客さんがボールペンをこちらに返すとき、その流線形のシルエットがとてもきれいに映って、私はあたまの片隅でうっとりしている。

 こうして考えると、Kさんは私が書店で働くうえで必要なものをふたつもくれたのだと気づく。私と背の高さが近くて、優しくて賢くて、頼りがいがあって、ときどきものすごくデリカシーがなかったりアホみたいだったりしたKさん。ある匂いで今はもう会わない誰かのことを思い出すように、私はものの数を数えるたびにKさんのことを思い出す。