水底飛行場

試行中……

2023年9月24日 1145文字 『ファミレス』

 ファミレスと縁が遠い。

 どうしてそういうことに気付いたかというと、私はサイゼリヤに行ったことがないと気づいたからだ。いや、正確には、一度行ったことがあるかもしれないが記憶があやふやであれがサイゼリヤだったかどうか確証をもてない、だ。

毎週聴いているラジオ番組で出演者のひとりが、イベントの打ち上げをやるときお金の出所が心配になる、売上げに手をつけちゃだめだ、俺はもうサイゼでいいから!というようなことを喋っていた。サイゼかあ、そういえば行ったことないな、と思った。現在も最寄りのサイゼリヤがどこにあるのか知らないし、ねこの配膳ロボットがいるファミレスはどこかもよくわかっていない。

単純に、生活の中で行く機会がないのだ。まず、家から歩いて行ける距離にファミレスの店舗がない。徒歩30分くらいのところにジョリーパスタがあるが、そのすぐそばにマックがあるので行ってない。そして、そもそもジョリーパスタはファミレスと呼んでいいのかもよくわかっていない。また、ファミレスについて考えるとき最初に思いつく店名はガストなのだが、最寄りのガストがどこにあるかわからない。ファミレスとの間に物理的に距離があるので、精神的に近づこうとも思えないのだ。

子どものころに親が連れて行ってくれる外食は、商業施設に入っている洋食のチェーンか蕎麦屋か回転寿司チェーンか、お好み焼きの持ち帰りか、だった。幼少の記憶の中でファミレスに行ったものを掘り返すと、映像は待合席のところで、そこに祖父母がいる気がする。墓参りの帰りだったのだろうか。

 ファミレスでドリンクバーとポテトだけ頼んでゆっくりするという過ごし方がある、と知ったのは大学生になってからだった。ひとり暮らしの部屋から自転車に乗って、大きな車道沿いのガストに向かった。少ないお金を財布に入れて、サンデーとポテトを頼んだ、ような気がする。昼過ぎか夕方だったと思う、混んでいなかったはず、混んでいたら入店していないだろう。そういう行動をしたというのは覚えているが、どれくらい滞在したとか、どう思ったか、ということは覚えていない。たった一度、そういうことをした、というのは覚えている。

 少し前に、ファミレスが舞台のゲームをやった。パソコンでできるゲームで、無料だった。深夜のファミレスに閉じ込められ、ほかの客と会話しながらファミレスの謎を解くという内容だった。とても面白かったし、ファミレスにこんな郷愁を抱いているひとがいるのかと新鮮な驚きがあった。

 もし、徒歩圏内にファミレスが出来たら、私は行くのだろうか。現在、徒歩圏内にマックやフードコートがあるのだが、それらを振り切ってファミレスを選ぶことができるだろうか。だれかがファミレスに感じている気分を、私はどんな場所に抱くだろうか。