水底飛行場

試行中……

2023年9月22日 1010文字 『低い近い通過点』

 おそらく、高いところをみてぼーっとする癖があるのだろうと思う。高いところ遠いところ。海を眺めるのが好きなのも、背の高いものを見上げると一瞬立ち尽くすのも、現在地からはるかに高い遠い到達点を見つめて体が動かないのも、そういう癖、自分あるあるなのだろう。

 私に「困難は分割せよ」という言葉を教えてくれたのは国語の教科書の中にいるルロイ修道士だったが、具体的にどのように分割するか教えてくれたのはzoomの向こうの人だった。高くて遠いとぼーっとしてしまうが、低い近いところならぼーっとしない。低い近い通過点を繰り返して、気がついたらけっこう遠くまで来たものだとスタート地点を眺めるような形なら、私は高いところ、遠いところまでやってこれそうだと最近気がついた。

 これはつまり、毎日少しずつやる、コツコツやる、ということでもある。これまでの自分に縁のない行動である。夏休みの宿題は終盤にまとめてやるタイプだった。何かにハマると数週間から数か月はそのことに熱を上げ、しばらくすると飽きて離れる、また別の何かにハマり、短期間盛り上がって、飽きて離れる、繰り返し。常温の気分で、毎日淡々と続くものなんて、なかった。

 小さな変化が起こったのは大学の最後の年だった。流行り病の影響で授業がオンラインに切り替えられ、ひとり暮らしの部屋にこもることになった。外を歩かないので、たぶん体動かした方がいいなと思い、朝、ラジオ体操第一をすることにした。これが続いた。第一までならそんなに疲れないし、なんか健康的でよさそうな感じするし、体が伸びて気持ちいいし。ゆるやかで気合のかけらもないような始め方だったけど、いまも朝の作業前はラジオ体操第一をやっている。第二はやっていない、第二までやると長いし疲れる。理由が怠惰だなと思う。

 自分の怠惰さに気付いたのも最近のことだ。子どもの頃は、自分は真面目だと思っていたが、そんなことはなかった。私は怒られるのがものすごく嫌で、怒られないために、自分のいい加減で怠惰な面を真面目なふるまいでなんとか隠そうとしていたのだ。自分が実行した怒られ回避作戦に、自分が騙されていた。なんだそりゃ、ばかだなあ。

 私は上記のような仕方のないやつではあるけれど、低い近いハードルなら越えられる。低い近い通過点をクリアして、それを毎日こなしていくことも、最近はできるようになってきた。私にはそれができる、とも言えるし、それしかできないとも言える。